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ゼロ金利解除を広報するという一方向の政策誘導ではなく、N銀として正確な情報発信ができていたのかどうか。
その点で物議を醸したのが、七月初旬にN銀金融研究所が開いた「第九回国際コンファレンス」だった。
同コンファレンスは、金融専門家向けの会議だが、ゼロ金利解除問題に関心が高まる時期での開催となっただけに、会議に集まる内外の金融学者やC関係者の判断が注目された。
会議には、同研究所海外顧問を務める米K・M大のアラン・メルッァー教授、同顧問で当時S大(後に米財務次官)のJ教授をはじめ、IMF、BIS、米FRBなどの主要機関の金融エコノミスト、政策専門家らの鐸々たるメンバーが集まった。
開会にあたってのHのスピーチを読み返すと興味深い。
Hはバブル発生と拡大に際しての金融政策の責任を指摘した上で、どうすべきだったかと自問し、次のように語った。
「しかしながら、『後知恵』での『反省』、『教訓』だけでは、リアル・タイムでの政策判断には十分に両副総裁とも、政策委で一票を持つ以上、自身の見解を明らかにするのは当然だ。
Fもゼロ金利解除の正当性を信じて、世論作りに動いたのだろう。
六月二十五日には衆院選挙の投票日が迫っていた。
政治や政府が選挙に目が移っている間に、それまで総裁が突出した感じだった解除論を、両副総裁がN銀の「独立性」を意識してサポートし、着地の模索に入ったとの見方も出た。
解除直前の八月四日に日本記者クラブで開いたYの講演を演出したのも、同クラブに人脈を持つFだった。
それ自体も問われる行動ではない。
指摘したいのは、役立たない」「金融政策がかなり長い先行きのリスクを展望して運営されていれば、経済の変動はもう少し小さくなっていたかもしれない」ゼロ金利解除というリアル・タイムの政策判断に、今まさに手をかけようとしていた段階で、Hは、「先行きのリスク」をどう展望していたのだろうか。
参加した経済学者たちは、リアル・タイムの日本経済の評価に懐疑的だった。
私は、会議に参加したマネタリストとして知られるメルッァー教授にインタビューした。
教授は「Nのデフレ状況はまだ終わっていない。
(ゼロ金利解除よりも)もっと資金を市場に供給する追加緩和策が必要だ」と語り、具体的な追加策として、一ドルU一四○一五○円への円安誘導、N銀による国債買い切りオペ増額などを求めた。
会議は非公開だった。
N銀の説明は「(ゼロ金利解除については)学者は否定的、C関係者は理解してくれた」と二日間の雰囲気を外部に説明した。
ところがその後明らかになった情報では、N銀が「理解」してくれたと説明した米FRBのC金融局長も、「インフレと需給ギャップの関係が変化している可能性がある中で、デフレ懸念(の薄らぎ)だけで解除を判断するのは疑問」と明一口していた。
ゼロ金利政策が流動性不足への不安解消に効果があったことに一定の理解を示した出席者はいたものの、解除の時期や条件などに明瞭な理解を示したC関係者は(N銀からの出席者を除いて)いなかったのが真相だった。
なぜ、異なった「理解」の情報が流れたのか。
N銀主催の専門家による国際会議で、ゼロ金利解除への否定的見解が大半だとまずいとだれかが判断したのではないか。
そうだとしたら「開かれたN銀」の看板は虚構だったことになる。
「攻守ところを変えて」広報担当を演じていたFは、この時何を守ったのか、と問わざるを得ない。
六月十二日、同二十八日に開いた政策委を見詰める市場では、「解除賛成と反対が四対五に割れた」の説も流れた。
実際は、両会合とも、従来通りの現状維持七に対して反対二(NとS)の構造は変わっていなかった。
早期解除を求める独自提案を続けてきたSは常に、「○・二五%前後への復帰」と同時に、「金融市場の安定を維持する上で必要な場合は、(○・二五%にかかわらず)一層潤沢な資金供給を行う」との「なお書き」の提案をしてきた。
十二日の提案では、なお書き部分をそっくり落とし、ゼロ金利解除を求める姿勢を鮮明にした。
先に見た春時点での票読みでは、慎重・中間派に属するとみられていた一木とTも、この時点で賛否を明確にしていたかは不明だが、解除やむなしの大勢派に鞍替えしていたと思われる。
Mは、すでにみたように「良いデフレ」論を唱えていた。
Tも五月末の都内での講演で、次のように語った。
「(今のN銀は自分の庭先だけでなく)かなり先のことを考えている」「(ゼロ金利解除が世界の経済に強い影響を与えるとの慎重な見方について)そうした見方は日本からの資本流出の変化を過大評価して思惑と駆け引きを引きずりながら、事態は、ゼロ金利解除に向かっていくが、そのタイミングは少し慎重ながら、解除のタイミングと解除後のインパクトの少なさに言及することで、解除派に共鳴したと読める。
となると解除派は執行部の三人を加えて七人。
先にみた六月後半の一人の副総裁の積極発言は、こうした票読みの上で、世論対策を意識したものだったようだ。
次の二十八日の会合も、基本的に大勢の流れは変わらなかった。
だが、大勢となっていた解除派委員たちはまだ迷っていた。
意識的な世論対策にもかかわらず、解除を決めると引き締め転換と受け取られないか、財政政策との整合性をどう説明するか、などの世論の反応をつかめていなかったためだった。
新N銀法で定められた説明責任をどう果たすか。
視点はそこに合わさっていたように思える。
『そごう』と対米配慮世論への蹟路は、当初、衆院選挙後の政治状況を意識したものだった。
ところが七月に入るや、景気の回復観が一段と強まってきた。
四日発表のN銀短観は大手製造業の業況判断指数がついにプラス転換したことを伝えた。
Hは短観の結果に勇気づけられた。
Hは同月六日、ソウルでの国際会議に出席後、スイス・バーゼルでのBIS総裁会議出席のため機上の人となった。
「帰ってきたら、ゼロ金利を解除できるようにしておいてほしい」。
成田を立つ際、速水はYたちに対して、こう言い残したとされる。
その計算に入っていなかった動きが一つあった。
一つは、自主経営再建から一転して民事再生法の適用申請に踏み切った大手百貨店そごう問題の急展開だった。
そごう向け融資のうち、N長期信用銀行(新生銀行)が抱える債権の扱いを巡り、債権者金融機関間で混乱が生じ、政治の介入もあってそごうは一転、法的整理となる。
負債総額一兆八千七百億円。
ノンバンクを除くとその時点で過去最大の破綻となった。
国内二十七力店を抱え、従業員約一万人。
取引先数は一万社。
そごう倒産に伴う経済への影響とともに、そごうの再建計画を巡る政治介入の余波が、政策委を困惑させた。
Sは当時を次のように振り返っている。
「政治の力や「そごう問題』に対して、金融政策はほとんど無力だった。
マクロの金融政策をやる立場としては、そごう破綻はあくまで一企業の問題なので、あのような展開にならなければ、七月(十七日)の決定会合でさっさと解除できていたのではないか」もう一つの計算外の動きも政治絡みだった。
福岡での主要国首脳会議(沖縄サミット)蔵相会議に先立って開いた七月八日の日米蔵相会議。
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